2013年3月5日火曜日

【感想文】映画「ダークナイト」/ジョーカー、まじネ申


『ダークナイト』見た!

ktkr!

すごい!

ジョーカーすげぇ!


面白い物語を見たときは、いつも感想をまとめるのが大変です。

全然まとまらない。


とりあえず、思ったことを徒然と綴ります。


以下、ネタバレ、アリです。




『ダークナイト』は神話的な物語



この映画は、なんとなく神話的だなぁと思いました。

この「神話的」というのは、ギリシャ神話とか、日本の神話とかの多神教の「神話」です。


「俺は時間を司る神だ」

とか

「私は貧乏の神です」


とかいった類の、神話です。



概念を神様にしてしまうような神話です。


この『ダークナイト』の敵ジョーカーは「混沌」とか「無秩序」の化身(神)として描かれていると思います。



ジョーカーを生身の人間と考えるより、「混沌」「無秩序」の象徴としてみたほうが、しっくりくる。



ジョーカーはただの象徴だから、捕まえたり、殺したりすることにはあまり意味がない。


問題はジョーカーそのものではなくて「混乱」や「無秩序」の方だ。


彼を殺したり捕まえたりしたところで問題の根本は解決しない。


映画ではそのことが非常にうまく表現されている。

バットマンたちは何度もジョーカーを捕まえる。


だけどそのころには、「最悪の状況」はジョーカーの手を離れている。


ジョーカーの恐ろしさは、ジョーカーそのものではなくて、ジョーカーが象徴するものが恐ろしいからだ。



我々は、ジョーカーが象徴する「混乱」にどう立ち向かうかというのがこの映画のテーマでもあると思う。






裂けた口の物語

ジョーカーは、自分の裂けた口の由来を語っています。

しかも2回も語っています。



でも、1回目と2回目はどちらも違う理由を語ります。


(3回目、バットマンに語ろうとしたときにそっけなくされちゃいますが)



普通に考えると、

2回の内どちらかが本当で、どちらかが嘘。

またはどちらも嘘。

ってことになる。


でも、ジョーカーが神的存在だとすると、


「どちらも本当」


といえるかもしれない。


(神様なら同時多発的に存在できる)


つまり、「口を裂く」という残虐な行為の原因は、どんな可能性だってあり得る。





ジョーカーを生んだのは、「ぼくが子どもに冷たく当たったこと」が原因かもしれないし、「あなたが恋人にひどい言葉をかけたこと」が原因かもしれない。


僕らのそういった少しずつの理不尽さ、悪意、無関心さみたいなのが、元気玉のように集まって凝縮され生まれたのがジョーカーなんだと思います。






ジョーカーは地震みたいなものだ




ジョーカーは地震みたいなもんだ。


ジョーカーは(あまり)直接手を下さない。


(最悪な)状況を用意する。


人々は、その最悪な状況の中で、判断を迫られる。


多くは、判断力をそがれ、最悪な選択をする。


だけど、そうでない場合もある。


最悪の状況におかれてもなお、勇気で乗り越える場合もある。



この映画を見て、僕は先の大震災を思い出した。


多くの人が、最悪の状態で、難しい判断を迫られた。



心がくじけそうにもなった。


立ち上がる人もいた。


災害すら私利私欲に利用する人も現れた。



『ダークナイト』そのままだと思った。


ジョーカーは地震、津波だ。


万人に、公正に最悪だ。


そして、唐突にやってくる。


避けがたく、必ず、やってくる。


その時に、僕らはどうすべきか。


『ダークナイト』にはそのヒントがちりばめられていると思う。(たぶん)




バットマンとジョーカーの関係


ジョーカーはバットマンに「お前も同類だ」的なことを言っている。

これはつまり、どちらも「無秩序」に属するからだろう。


世間のルールからはみ出した存在。

法律で縛ることができないジョーカー。

法律で縛ることができない者を法律を超えた力で成敗するバットマン。


ジョーカーの力が強大であればあるほど、バットマンは「法外」力に頼らざるを得なくなる。


バットマンの力がより強大になればなるほど、ジョーカーは更に狡猾にならざるを得ない。


そしてバットマンはより強力な力を必要とする。


しかも、バットマンはジョーカーを殺すことができない。(信念的に)


イタチごっこ。


だから、ジョーカーはバットマンを必要とする。


バットマンも、バットマンでいるためにはジョーカー的な存在が必要だ。


お互いが、お互いをけん制しあいながら、より強大になっていく。

微妙なパワーバランスを保ちながら。



それがあまりにも大きくなりすぎたらどうなるんだろう。


たぶん、ちょっとしたバランスのいきちがいで、偉いことになるだろう。

核抑止力的な発想。


本当に必要なのは、バットマンが必要のない世界。



バットマンのいない世界を作るのは、2隻のフェリーがお互いを爆破しなかった「勇気」だと思う。




ダークナイトでいつづけるには「頑固」でなければならない

人間の正義感、倫理観というものは、「混沌」の前には非常にもろい。

それは正義感に燃えてハービーがトゥーフェイスに変貌したことに象徴されている。

ジョーカーも「人間のモラルは簡単にひっくり返る」と言っていた(とおもう)。


人間社会では昨日正義だったものが、今日は悪になることは簡単に起こる。


ジョーカーが、「混乱」と「恐怖」で倫理観をひっくり返して見せた。


ジョーカーが「バットマンがマスクを取らなければ殺人をする」といえば、世間は「バットマンがマスクを取らないから悪いんだ」となる。


ジョーカーが「リース君を殺せ。さもなくば病院を爆破する」というと、リース君を殺しに人々が殺到する。


何が正しい、何が正義かなんて言うのは、「混乱」「恐怖」の前では一変してしまう。


ハービーが大事にしていたのもこの手の「正義感」や「倫理観」だった。だからジョーカー(混沌)の前では簡単にひっくり返る。


だけど、バットマンは違った。


ひっくり返らない。

曲げない。

ジョーカーは「頑固なやつだ」と言っていた。


この頑固さこそが、「混沌」に立ち向かう唯一の武器なのかもしれない。



村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』でも自分のステップを踏むことが大事だと言っていた。

”とびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。”




ジョーカーに打ち勝つためには、そういう頑固さ、愚直さ、泥臭さみたいなものが必要なんだと思う。






僕らにはまだまだ幻想が必要



ジョーカーに勝つためには「頑固さ」や「自分なりのステップ」が大事なんだけど、世の中そんなについよい人はあまりいない。

やっぱり、恐怖や混乱には弱い。


だから、最後に頼るのは、「幻想」だ。


市民は「光の騎士ハービー」の幻想が必要だった。

バットマンはレイチェルの愛という幻想が必要だった。


それらはまさにジョーカーによって簡単にひっくり返される類のものだ。

だけど、それに頼らざるを得ないところが、「現実」である。


だから、幻想だけではどうしようもない部分を「ダークナイト」に託す。


僕らには、まだ「光の騎士」という幻想が必要だ。

僕らには、まだ「闇の騎士」という存在が必要だ。


だけど、2隻の船が無事だったように混沌の中にも希望がある。

それがバットマンのいない世界を作る原動力になるとおもう。



ヒース・レジャーについて


こんなにすごいジョーカーを演じたヒース・レジャーがなくなったのは、本当に悲しい。

この映画でジョーカーが2度目に登場するシーンが非常に印象的だった。

鉛筆を消すマジック。


このシーンで、僕は一気にジョーカーの世界に引き込まれてしまった。

本当にジョーカー、すごいと思いました。



『ダークナイト』というタイトルについて


ずっと、『The Dark Night』だと思っていたことは内緒です。





以上。 

ジョーカーが象徴するような混沌とした(そしてジョーカーのように天才的にはいかない)無駄に長い感想文、おわり


 

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